色奈さんは止まれない

生きてるだけで必死

ずっとこれからも

 

何もない休みというのは、無駄なことをよく考えてしまう。

それが嫌で、何時も何かしら予定を立てていた。

 

 

初恋はについて思い出してしまった。

 

初めて恋をしたのは、いつだったか。

幼馴染に思いをはせて、中学卒業の時に付き合って、学校が違うからすれ違って一年未満で別れるよくある話。

 

でも、この時私は、思春期よろしく「どうしてあの人の事好きだったのに、別れた今、心が動かないんだろう。」など考えてしまった。

確かに好きだった、それは間違いようもなく本当に心からあの人の側にいたい、あの人と一緒になれたらどれだけ幸せだろう。そんなことばかり考えていた。

 

しかし、付き合ってみたら「こんなものか」という感情がいつもちらついて、別れる時も私から「別れようか」と随分軽いものだった。

 

そんな思いを抱えたままの恋愛など、うまくいくものではなくてその後付き合った人とには「思っていたよりドライなんだね」といわれ私からまた別れを切り出した。

 

ふと、別れた数日後、「私は付き合うことがゴールで、付き合ってからはどうでもよかったんだ」と、答えをだしてしまった。手っ取り早い答えを欲しがったのかもしれないけど、当時の私にはそれが一番心にストンと落ちて来て、心地良い答えだった。

そんな答えが出ると付き合う、というゴールは随分邪魔に感じて遊ぶようになった。どうでもよかったのかもしれない。

 

愛は無くてもセックスは出来るし、自分を殺して相手に合わせれば好いてもらうなんてそこまで難しい事でもない。ただ、心に虚しさはいつまでも漂っていた。

でも今でも、恋人がいなければ身体だけの関係なんて、なんとも思っていないし、もっと言えば、それの何が悪いのかピンと来ていない。遊ぶだけなら誰だっていいじゃないか。

 

それはそれでひどく楽だった、誰でもいいから、会いたいときに会える人でよかった。その時だけ私を愛してくれる、その時だけでもよかった。

軽くて、重くなくて、真剣みがなくて、適当で、手放すのも乗り換えるのも、簡単で楽なインスタントな恋愛はそれはそれで、幸せだった。

 

そんな中、出会った今の恋人。

初めて「わたしだけ」を望んだ人。

別れたくない、手放したくない。泣くほど愛しい人に会えるなんて思っていなかった。

私はどうしようもない女だから、どうしようもない恋愛しかできないと思っていた。

 

でも、でもあの人に出会えたことで私の心に虚しさは無くなり、穏やかな幸せが常に心を温めてくれる。

私だけを愛してくれる愛しさ、切なさ、苦しさ、その思い全てに恋をして愛している。

 

あなたの瞳が私を捕まえてくれた。

 

 

誰よりも愛してるから、どうかそのまま私を好きでいて。

 

あなたが私の一番です。

そんなことすら伝わらない

 

「ストレス抱えていませんか?」

 

「無理しないで暮らしてますか?」

 

 

うるさいうるさい

生きてるだけでこっちは致命傷なんだ。

ゆるしてくれ、そんな言葉をかけないでくれ。

 

そもそもにして休憩する場所、休息する場所である家で一番ストレス抱えてるって状態がもうストレス。ストレスが湯水のごとく溢れる。とってもクソ。

 

家族は好き、祖父母も、叔母も、母親も。

仲もいいし、楽しいし。

 

でもふとした時、その家族という枷は私をむ蝕む。

 

子供でいることを強要された、言葉で言われたわけじゃないけど、なんとなくそう感じ取って生きてきた。

 

でもそれは、子どもの時だけだと思っていた。

子供の時は子供らしく、素直でのびのびとして、明るく朗らかで。そういう子でいいと思っていた。実際高校卒業するまではそうしてきた。

 

でも、いざ就職をするぞとなった時、その枷が私を急激に縛り付ける。

「家から通える距離で、もし県外に行くようであれば働かなくていい」

そういわれたその時は「世間知らずの私を心配してくれてる」と、信じていた。それ以外思いたくなかった。

でも、働き出して、自分の世界の小ささを知って「あれは私を心配していたからじゃなくて、私を縛るためだった」と気づかされた。

 

本人たちは「可愛い子供を危険な目に遭わせたくない、いざとなったら私達が守るためにも側においておかなければ」という行き過ぎた心配から(過保護)きているのであろうけれど、けど!それは社会には通用しない。

 

 

大人になるのを拒まれた。

初めて恋人ができたとき、母親に伝えたら「お母さん以外に言っちゃだめよ」と言われたとき、正直ピンと来ていなかったが、その言葉は恋人と別れた時の母親の反応でよくわかった

「ああ、よかった」

そういわれた。

この人は子供が「女」になることを拒んでいる、直感で分かった。

女になること、可愛い子供がどこかへ行ってしまうような気になるのが、あの人はきっと耐えられない。

そう考えたすべてが納得いった、友達同士でも遊びに行くときは逐一報告する事、どこに誰とどうやってどんなことをして、何時にどこへ行って。それらすべてを母親は知りたがった(祖父母も)

挙句の果てには「その一緒に遊んだ人はどういう人で、家族構成はどうなっていて、ご両親はなんの仕事をしていて、御兄弟はいるの?どこに住んでいるの?」と、相手のことまで知りたがる。

 

私はいつになったら家族から自由になれるのだろう。

私の思っていた家族は優しくて、ちょっと心配性で、でも私の事を応援していると思っていた。

 

全てに疑いを持ち始めたのは15歳の頃、交友関係全てを知りたがる家族、私の夢を笑って否定して、都合のいい時にはいい顔をして、私が本当にしたいことは拒否するくせに。

 

こんな話他人にすると

「どうせ今の環境に甘えてそういう事言ってるだけでしょ?その中でもできることってあるじゃん!」

ってしゃしゃり出てくる。

 

じゃあ、家から出ることも、夢のために進学することも、やりたい事、言いたいことを我慢して生活することを強いられた環境で、何をすればいいんだ教えてよ。

 

「あ~…大変だね、でも若いからそう思うんだよ」

 

年取ったら現状変わるの?

私より長く生きている家族が、家庭が、性格が、変わるの?

ねぇ、私のこと知ろうとしない癖に、私の話を分かろうともしない癖に、大人ぶってえらそうなこと言うなよ。

 

 

 

私は私のために生きたいだけなんだ。

スタートって怖い

 

いざブログを開設してみたものの、書こうと思うと思い出せない残念な思考回路。

 

だからというか、ぽつりぽつり、書き続けたい。

支離滅裂で書く、だって私自身がそうだから。

 

そもそも、何かを始めること自体が怖い。

SNSが普及した時代に生まれてよかったと思うのが、人の目を気にしなくていい事。もちろん、それゆえの誹謗中傷もあるけれど、でも私のように人目を気にしないことに救われた人も少なからずいると思う。

 

SNSは自分の気持ちに正直になれるところだった。

と、言うのも私は昔からあまり愚痴を外に出さないタイプだった。

変なプライドがあった「常に明るい子でいよう」という。そんなバカみたいなプライドが20歳を越えても付きまとってくる。

だからいつでも、どんな立場でも明るく悩みなんて抱えていないように、実家に暮らしている甘やかされた子でいた。

(実際問題そうなんだろうけど)

 

でもそれが枷になって、弱音を吐く事=そんな状況になることが怖い。

もし失敗したら、ミスをしたら、迷惑をかけたら。

そう思うと怖くて怖くて、足がすくんで、心臓を後ろから掴まれている、握りつぶすのとはまた違う、そんな恐怖が私をずっとずっと縛り付ける。

 

そもそも、他人の目が怖いからSNSに救われて、SNSに依存しそうになって、SNSに支えてもらってる人間が、人間がたくさんいるところにいる事態褒められたい、人間嫌いなのに毎日人ごみにまみれててえらい、会話をしていてえらい、えらいんだ私は。

 

自己啓発をしたいわけじゃないし、前向きになりたいけれど、後ろ向きを辞めたいわけじゃない、我ながら随分めんどくさい大人になってしまった。

 

 

子供の頃、何になりたかったんだろう。

はじめまして

 

自分の気持ちを整理するためにブログを開設しました。

 

客観視できない自分の感情をつらつら書いて行こう。

 

結局自分が嫌い嫌いと言いながら、自分の事がかわいくて愛おしくて甘やかしてしまうのがすごく嫌で、でも甘い現状を変えるのも怖い。

 

そんないつまでたってもモラトリアム、いい加減大人になりたいです。

 

 

そもそも、大人って何だろう。

社会から見た都合のいい人なんだろうか、理不尽にグッとこらえることができる人なのか、自分で生活をしている人だろうか。

 

小さい頃は中学生ですら大人に見えて、長財布が大人っぽく見えて、一人で買い物をしている姿にあこがれていたのに。

 

今はあの頃に戻りたくて、やり直したいと思うことも増えて、つらくて、前向きなロックソングに殺されそうな日々。

 

せめて、せめて、生きていることに

前向きになりたい。